株式会社 万木和広建築設計

株式会社 万木和広建築設計 人々が集まり、自然と寄り添う豊かな生活を実現する建築を提案する建築? 私たちは、世界中のいかなる場所においてもその歴史的伝統的文脈を理解し、その場所にしかない建築を追求します。そして、遠ざけてきた自然を取り戻し、それと寄り添う生活を可能にする建築を皆様に提案します。

2024年度 東浦町景観コンテスト 今日から募集スタート!テーマ『人にすすめたい 東浦らしい景観』今年も夏の緑の深まりと共に、東浦町景観コンテストの季節がやってまいりました。なんと今年で10年目(9回目)を迎えます。これまでの景観コンテスト...
31/07/2024

2024年度 東浦町景観コンテスト 今日から募集スタート!
テーマ『人にすすめたい 東浦らしい景観』

今年も夏の緑の深まりと共に、東浦町景観コンテストの季節がやってまいりました。なんと今年で10年目(9回目)を迎えます。

これまでの景観コンテストによって、たくさんの「わたしの好き」が集まりました。今年は「わたしの好き」に言葉を添えて作品を制作してみませんか。みんなと好きな景観を共有したり、大切なひとに伝えたいという思いを込めて。

そして、東浦らしい景観にこだわってみるというのはいかがでしょう。東浦らしい景観ってなんだろうと思いながらまちを歩いてみる。するとこんな経験をしたことがありませんか。

東浦の丘を南北に歩き抜けると緩やかな山や丘と谷が交互にあらわれます。また東西に流れる4本の川に沿って歩むと、川の両側に田園があり、その奥に山があり、緑や生き物に囲まれた心地良い場が歩いても歩いても続くように感じたことはありませんか。

実はこれが根(山や丘)と狭間(谷)の織り成す東浦ならではの地形なのです。そして根と狭間の地形は農業とも深く結びついてきました。ぶどう畑は山から谷川に向かって下っていく大地にあります。
また水が十分ではなかった知多半島では、大昔から狭間の谷の上の方にため池を造り、その下に水田を開いて農業が営まれてきました。これらが地形の上に育まれた、暮らしやなりわいの風景なのです。

そんな東浦らしい風景を募集します。
応募期間は8月1日~11月29日まで。
東浦町内外、どなたでも参加できます。

詳しくは町HPをご高覧ください。
みなさまの「好き」をお待ちしております!

今年11月、『風景塾2024』にゲスト講師として参加させて頂く事になりました。『あぐいの美塾』から一周回ってこんな興味深い機会を頂く事ができました。この塾は、公共空間・地域再生に関心のある学生や実務者等の社会人を対象に、具体的な敷地(エリア...
29/07/2024

今年11月、『風景塾2024』にゲスト講師として参加させて頂く事になりました。『あぐいの美塾』から一周回ってこんな興味深い機会を頂く事ができました。
この塾は、公共空間・地域再生に関心のある学生や実務者等の社会人を対象に、具体的な敷地(エリア)とテーマが与えられ、2日間に渡るグループワークを行い、空間の提案を行うワークショップです。
今年の対象エリアは、名城公園の北界隈とそれに沿う堀川の水辺。テーマは対象敷地界隈における「生活の中のアクティビティーを水辺から創造する」だそうです。

ここで重要なのは、生活の中のアクティビティーを設計せよと言っていることではないでしょうか。その場所、その空間で繰り広げられる行為をデザインし、その背後に手段としての土木・建築・ランドスケープの技術がある。行為をデザインするわけですから、土木や建築などの手段の境界は曖昧で、かかり代が大きければ大きいほど豊かで、耕しがいがあることになる。あくまで行為を実現するための技術です。
近年のコンペやプロポーザルを見ていても、土木、建築、ランドスケープが一体となって提案を求められるケースが増えてきたと思います。実社会の現象はそれらが複雑に絡み合っているから当たり前といったら当たり前です。

culture(文化)の語源はcultivate(耕す)だとものの本で見たことがあります。

人と川の境界
川と暮らしの境界
技術分野の境界

これらの境界を、この風景塾で耕して、創造したアクティビティーがやがて暮らしの一部となって定着し、さらに文化と言えるほどに根付くことを目指して。
参加者の方々と一緒に学ぶつもりで参加させて頂きたいと思っています。

追伸
パリ五輪における市民と川と都市と建築の関係を見て嫉妬する今日この頃。堀川との新しい関係性をつくれたらと思う毎日。

建築家 西沢立衛さんの机が目に留まって。机とそのまわりを見ればその人がわかるなんてよくいいます?が、西沢さんのそれはひと際興味深い。椅子の後ろ、すぐ手が届くところにル・コルビュジェの本があるのはわかりやすいけど、目を凝らせば建築の周縁のもの...
21/07/2024

建築家 西沢立衛さんの机が目に留まって。
机とそのまわりを見ればその人がわかるなんてよくいいます?が、西沢さんのそれはひと際興味深い。

椅子の後ろ、すぐ手が届くところにル・コルビュジェの本があるのはわかりやすいけど、目を凝らせば建築の周縁のものに気付かされます。
机の上に積まれたものは、詩人『大岡信著作集』、『万葉集』、『ゲーテ対話集』、文学者『渡辺一夫全集』などなど。

その机の風景を見ていたら、ふと赤塚不二夫さんが手塚治虫さんにどうやったら手塚先生みたいに良い漫画を描けるんですかと聞いたところ、「漫画から漫画を学ばないでください」と言われたエピソードを思い出した。

また、安藤忠雄さんが20歳の時、当時神戸新聞の社長にどんな本を読んでいるかと聞かれ、建築の本を読んでいると答えた所、建築家として奥行きを深めたいのなら文学にも触れておけと、吉川英治の『宮本武蔵』を3回読めと薦められ、安藤さんは自立した人間として生きていくには覚悟がいるということをその本から学んだと聞いたことがある。

西沢さんによる周りの自然を取り込んだ水滴のような豊島美術館には、その周縁性を感じずにはいられません。

先日も『建築の半外から』というレクチャーがあったが、より周縁の周縁に出て行き、そこから建築に戻ってきて表現するようなことを考えたい。あるいは、その表現手段が建築から建築+αになったり、あるいは建築ではなくなるかもしれない。建築に拘る必要がないかもしれない。人を心地よく包む環境であれば。
きっとそれでいいのだ。

『日本と海外の改修の違い~歴史は未来につながっている』海をこえて建築や都市を体験して思うことのひとつ。住宅にしても、歴史的建築物にしても、大切に使いつつ、移り変わる時代を背景に、時を超えて残る普遍的な骨格的要素は残しつつ、新しい要素を慎重に...
10/07/2024

『日本と海外の改修の違い~歴史は未来につながっている』

海をこえて建築や都市を体験して思うことのひとつ。
住宅にしても、歴史的建築物にしても、大切に使いつつ、移り変わる時代を背景に、時を超えて残る普遍的な骨格的要素は残しつつ、新しい要素を慎重に足しながら、暮らしている風景です。まちを歩いていると、その精神が建築とそれを取り巻く環境に直截に表現されている。

ここに挙げたものは私が旅して経験した一部に過ぎない。

パリ、ルーブルのガラスのピラミッド(1~3枚目)は、それまで大半を大蔵省が使用していたという中世の宮殿を、ミッテランの一声で美術館にコンバージョンするという国家プロジェクト。現代の建築技術により、限りなく透き通ったガラスのピラミッドが、特別な吸引力を持って、人々を地下にいざない、両翼にある宮殿展示エリアの歴史にアクセスする。中世の王級→政庁→現代の美術館へと時代に対応し新陳代謝しながら続いていこうとしている。

ベルリンのドイツ連邦議会議事堂ライヒスターク(4~6枚目)は、1894年ドイツ帝国時代から議事堂として使用されてきた建築。その後の紆余曲折を経て、東西ドイツの統合に合わせて現在のかたちに改修されたもの。何より屋上に載せられたガラスのクーポラの二重らせんスロープを、訪問者は市街地を360度見渡しながら巡ることができる。そしてクーポラ中央には逆円錐形のガラスの彫刻が吊るされていて、その先端はその直下にある議場に突き抜け、まるで議会を監視しているかのようだった。これまでの歴史への反省と未来への正しい希望が同居していている。これこそ、古い建築を活かして使い続ける手法でないと実現できない意味を建築が保有していることになる。そして人々は知れずしてそれを体験し、日常の生きる風向きが少し変わるかもしれない。

リヨンのオペラ座(7~8枚目)は、1756年竣工の由緒ある劇場を近代的なものに改修したもの。新たに地下4層分を掘り下げながら、地上の2層は残し、その上にヴォールト(5層分)を上増築している。上増築とは技術的に困難を伴うが、外観から表出する新旧の混ざり合いは、内部空間においても表現されていて、この建築を訪れた人間は、確かに歴史の蓄積の上に自分が存在していて、その延長線上にある将来にこそ、可能性が満ちているということを教えてもらった。

そして改修建築の可能性は、上記のような大きなプロジェクトに限った話ではない。

ウィーンのレッティー蝋燭店(9~10枚目)も、建築自体は大変小さいながらも上記bigプロジェクトと同じような思想を掲げていると思う。そして小さな建築は、思想的にも物理的にも、建築家の世代を超えた承継としても、周辺にインフルーエンスを与えていることが都市を彷徨しているとよくわかる。
同じウィーンのルーフトップリモデリング(11枚目)はその象徴だ。
石造りの歴史的で重厚な建物の屋上に舞い降りたような建築?シン昆虫?宇宙船?は、既存の弁護士事務所に対する上増築。この増築部分の中に会議室などの事務所機能がある。
レッティーのハンス・ホラインから、ルーフトップリモデリングのコープ・ヒンメルブラウまで承継されている。

都市の再編においても、身の回りの市町村の公共施設再編にしても、時代を超えて残ってきたものへの敬意とその意味を承継し、そこに現代の技術をもって積み重ねていくような試みを期待したい。それはきっとこれまで培ってきた叡智にあやかり、味方につける賢明な行為に違いない。間違ってもリセットしてしまっては勿体ない。
そしてその範疇は、建築や都市あるいは民家と集落あるいは都市基盤というエリアに限定せず、地形など自然の造形、文化、風土、民族学など広範な知恵を借りずにはいられない。

レッティーから学んだことからすれば、きっと自分の身の回りのスケールから始められるはず。いや正確に言えば、いろんなサイズや分野で心がけなければいけないことかと思う。
歴史が未来につながっている。

2度目の海外への旅はイタリアに。ローマよりフィレンツェを経てヴェネチアに。もっとも体験したかった、あるいは衝撃的だったのはこのパンテオンだったと思う。ハドリアヌス帝によってAD120年に建築された神殿。はじめて訪れた時はちょうど小雨が降って...
07/07/2024

2度目の海外への旅はイタリアに。
ローマよりフィレンツェを経てヴェネチアに。
もっとも体験したかった、あるいは衝撃的だったのはこのパンテオンだったと思う。
ハドリアヌス帝によってAD120年に建築された神殿。
はじめて訪れた時はちょうど小雨が降っていた。
幾何学で理性的で意志的な外観に圧倒されながら、内部に入った時の静けさは今も忘れません。
内部のドームに入る光は、頂部のトップライトに限られています。よく見ると繊細で霧のような雨粒が光の束と共に、床におちていました。そう、その時代はガラスなんてない。
後世の改修等でガラスでも入れてしまいそうなものですが、ローマは違う。内部に射す直接的な光の美しさを知りました。これも光で建築をつくっています。

そしてその後訪れたバロック期のサンカルロ・アッレ・クァットロ・フォンターネ聖堂(1638~1641)。自律して建つパンテオンとは対照的に、周りの環境と呼応して、壁は波打ち、その波動は内部にまで及び、室内までもが楕円に変形しています。
時代の流れとその表現の変遷を感じます。

そんな感動を持ちながら最後のヴェネチアを訪れ、サン・マルコ広場界隈のレストランで夕食をとっていたら・・・店の中まで浸水し・・・

その場所の地形を背景として、気候との関係性において育まれてきた文化や風土を、建築と都市、あるいは民家と集落にみることができる旅はかけがえのない教授だなと改めて思いました。

今一度外に思考を向けねばとすきま時間にこれまでの旅を振り返る。最初の海外はフランスだった。何よりもこの建築が見たかったと記憶する。パリから結構行きにくい場所にあって、電車とバスを乗り継いでようやくたどり着いた。小さな呑み屋に昼間から集うおじ...
07/07/2024

今一度外に思考を向けねばとすきま時間にこれまでの旅を振り返る。
最初の海外はフランスだった。
何よりもこの建築が見たかったと記憶する。
パリから結構行きにくい場所にあって、電車とバスを乗り継いでようやくたどり着いた。小さな呑み屋に昼間から集うおじさんたちにその場所を聞いたけど、英語など通じない。
さらに、丘の上にそれは建ち、そこに行く経路が地形と共に物語になっていた。
写真でしか見ていなかったそれは、予想を遥かに超えて、いや今まで自分で経験した建築は及ばなかった。
光で建築をつくる人間がいるんだと思った。
人はその建築に確かにいざなわれていた。
景観→風景→風土を少しばかり学んだあとの建築の見方が、自分の中で変わっているかもしれない。
きっと撮影して記憶にとどめたい場所が違うと思う。
3度目の訪問へ。

『積み重ねることの大切さ』これは、愛知県は東浦町において景観計画を作成する際の委員会会議録。これに先立って行われた住民参加のワークショップとアンケートをベースに、専門家や団体、そして住民に参加頂く形で委員会は構成された。当初1ヶ年全4回で計...
06/07/2024

『積み重ねることの大切さ』
これは、愛知県は東浦町において景観計画を作成する際の委員会会議録。これに先立って行われた住民参加のワークショップとアンケートをベースに、専門家や団体、そして住民に参加頂く形で委員会は構成された。当初1ヶ年全4回で計画を作成しようとしていたものを、2ヶ年全12回に変更した。あの時は行政も前向きで柔軟であった。

この委員会が開催されるペースを見て頂きたい。おおよそ1ヵ月おきぐらい。しかし、その委員会と委員会の間には、専門家・事務局・コンサルの打合せが2~3回行われた。あの時の専門家は若かったし、熱かった。今はやってもらえないだろう。
これを見返すと、東浦町の景観理念に最終的に掲げられた根と狭間がどのように登場し、それに対する委員それぞれの受け止め方(知っている人もいれば、そうでない方もいる、新鮮であったり、そうだったのかということも)、そして東浦の景観理念に上げていこうとした時の共感が、つい先日の議論のように伝わってくる。2014年7月25日から2016年3月16日まで、住民や団体の代表者、そして専門家と行政が、議論の末共に学び、それを楽しみ、自分たちの町への興味と感心を深めていたと思う。

しかし、第1回委員会からすれば10年が経った。それを引き継いだ景観まちづくり委員会には、現在、検討委員会のメンバーは私を含む3人しか残っていない。行政のメンバーは4~5クール目だろうか。年度替わりのリセット感も強く感じる。
しかしながら、この会議録を見通すだけで、景観計画の頭や心への入ってきかたは結構変わると思う。
なぜ、それが選ばれてきたのか、経緯と共に理解できるからだ。
こんなに短期間に、様々な立場の人が集まって、議論されるのは滅多にないと思う。それには、先輩たちの時間と手間がかかっている。それは、その町の財産だ。歴史には残らないかもしれないけど、会議録には、その人の発した言葉が息遣いと共に伝わってくる。後世においてはその時代の雰囲気を感じ取れるものにもなるかもしれない。

議論を蓄積していくこと、それをアーカイブすること、それに今関係している方々は、それを見通し共有してほしい。
これを時間と共に薄めたら、もったいない。
このまちの景観を考える前提だ。

6月22日は前日からの延長線上で土木史研究発表会のシンポジウム「中部で考える、水の歴史と文化をいかしたまちづくり」にオンラインで参加。そこで気になったのが、土木学会会長であり早稲田大教授の佐々木葉先生が、郡上八幡で行ったアンケート。画像のよ...
24/06/2024

6月22日は前日からの延長線上で土木史研究発表会のシンポジウム「中部で考える、水の歴史と文化をいかしたまちづくり」にオンラインで参加。

そこで気になったのが、土木学会会長であり早稲田大教授の佐々木葉先生が、郡上八幡で行ったアンケート。

画像のような水路は、郡上八幡においてかつては暮らしに密着し、生きていくための川だったが、上下水道が整備された現代ではその機能は薄まり、それをどうアップデートしていくかが議論されていると伺った。

そんな状況下での住民へのアンケート。

Q.(画像のような)水路でものを洗っている人を見るとどう思いますかとの問いに・・・

A1.なんとも思わない
  日常的に使っている。当たり前だから。
  →昔から住んでいる方の傾向か。

A2.懐かしい
  かつて使った。みたことがある。

A3.なんとも思わない
  みたことがない。無関心。
  →新しい住民の傾向か。

特に2種類の「なんとも思わない」が印象に残る。
景観まちづくりに携わってきた自分にとって、この2種類の「なんとも思わない」に、その素敵さを伝えようとしてきた気がする。
なんとも思わないから、え、結構素敵じゃないへ。

ここでやはり真鶴町を思い出さずにはいられない。
日常の生活景への共感が比較的若い人々に拡がり、移住者がゆるやかに増えているのと同時に、一方で古くから住んでいる住民が、なんとも思わなかった生活景の素敵さに外部から来た人たちに気付かされたり。そしてそれが古くから住んでいる人たちと新しく住み始めている人たちをつないだりしている。
綺麗ごとに聞こえるかもしれないが、真鶴に行けば実感できるのだ。であるから、2週間程度のお試し移住をした人たちが、その生きたコミュニティーを実感して移住(もちろん移住を増やすことだけが目的ではないと思います)を決意していると思う。

であるから、我が町東浦では、その固有の風景である「根と狭間」に対して「なんとも思わない」から愛着へと新旧合わせていざないたいと思うのです。

新たな機能(水路のインフルーエンスに癒されるも含む)を付加できれば申し分ないけど。

建築家同士の集まりより、土木工学の方々との方が居心地がよいということで、6月21日は土木学会土木史委員会さんと水辺とまちの入口研究所さんが主宰する那古野・四間道のまち歩きから、納屋橋船着場→堀川→金城ふ頭→中川運河を船で巡るツアーに参加。実...
24/06/2024

建築家同士の集まりより、土木工学の方々との方が居心地がよいということで、6月21日は土木学会土木史委員会さんと水辺とまちの入口研究所さんが主宰する那古野・四間道のまち歩きから、納屋橋船着場→堀川→金城ふ頭→中川運河を船で巡るツアーに参加。

実は私にとって那古野はもうひとつのホームということで、以前より関心が深いのです。
写真にうつる秀島先生の持っている名古屋の地形図を見ればわかる通り、那古野界隈を歩くということは、堀川を境として以東は台地に向かって緩やかに上がり、以西は元沼地に向かって下っていくのが身体的によくわかる。微地形とそれに伴う歴史をいっしょに体感できる面白さがある。境界には必ず何かが宿っていて、そこを耕す(cultivate)ことで文化(culture)になるというのは良く言ったものだと思う。

何よりも堀川と中川運河を船で一度に周るということはなかなかないとのこと。いつもと違う角度で港湾や都市を見るということは、全く違う印象を受けるという当たり前のことに、改めて気づかせてもらえた。
よくあることだが、港湾法など元々その法律が想定し導こうとしていたその場所のありかたが、現代に至って齟齬が生じ、実際のくらしに制限をかけてしまっている点(それを解決するような取り組みも順に成されているので前向きな方向ではあります)も気になった。
何より、船上から見る名古屋という都市景観の潜在能力やとても高いと以前より思ってきたし、その思いを今回いっそう強くした。
納屋橋をさきがけに、川にも表を向き始める景観的様相が、沿線に広がっていくことにもっとリアリティーを持ちたい。
最後にずうずうしくも土木会の重鎮やレジェンドのいらっしゃる懇親会に潜入させてもらいました。
佐々木葉先生から、土木家と建築家とのコラボレーションについて考えていらっしゃることを伺った。建築家は、与えられたお題に対して、まずその妥当性について問い、必要あらば変更する傾向があり 、土木に携わる人は、与えられたお題(仕様書)に、ある意味忠実に応えようとするとの話題へ。
そう言えば先日建築のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞した山本理顕さんは、ひとつの建築によって社会を変革しようと本気で考えていることに気付かされたところでもあった。
一方で土木のもつ大らかさも大切だ。
少なくとも社会が抱える課題はいっそう複雑系の問題だ。
お互いが持っている性質が合わさってできること、あると思う。
僕自身が土木と出会って、意識が変革された。

今日は我が町東浦町景観コンテストのテーマ案を検討していた。多世代に渡る住民を巻き込んだ長い議論の末、東浦町の景観まちづくりの基本理念は「根」と「狭間」のうえに育まれた風土を守り育てる於大の里の景観まちづくりに集約していった。根とは山の頂きで...
19/06/2024

今日は我が町東浦町景観コンテストのテーマ案を検討していた。
多世代に渡る住民を巻き込んだ長い議論の末、東浦町の景観まちづくりの基本理念は

「根」と「狭間」のうえに育まれた風土を守り育てる
於大の里の景観まちづくり

に集約していった。
根とは山の頂きであり、その山の峯続きを尾根という。
狭間は谷のことである。
東浦は五本の指を衣浦湾に差し出したような根と狭間の地形が象徴的だ。
そして各区に高根・石根・黒根・苔根や祢宜狭間・仏狭間・狸狭間など、地名にその地形を表す名称が今もなお残っていて、地形と地名が呼応している。子供の頃よりその地名の醸し出す不思議さとその意味が気になったりしたものだ。また、その地名には民話が残っていたりして、その地形や地名とあいまり物語にまで膨らんで、その場所の土台文化となっている。
新しい開発地域にあるような現代の美しが丘とか緑ヶ丘にはない風情だ。
そんなことで自分の町の特徴を表すこのことばに、ぼくには子供のころから愛着と誇りしかない。
しかしこれまで一度も景観コンテストのテーマにこの根と狭間は登場したことがないので、平成27年から8回続いた今、今年こそはテーマに根と狭間をと思っていたのだが・・・
しかし本日事務局の担当者に「根と狭間をテーマに持ってくることはキツイ」とひと言で一蹴されとても悲しい気持ちになった。私なりにその豊かさを伝え続けてきたつもりだっただけに。
なんかね、地形もそれにまつわる地名も、その場所に長~く続いてきたもので、何より東浦固有の風景なんですよね、どこにでもありそうな都市や建築物とかと違って。
そして子供の感性や好奇心はあふれんばかりだ。
そんな子供が、その地形と地名と物語に、少し心がざわついたところで、少し学んでその意味を学ぶ。
そして自分の町に対する愛着を深めてくれたらと思うのです。
好奇心なんですよね、好奇心。
愛なんですよね、愛。
子供が一番体感している、その地形を。
テーマは好奇心をそそるぐらいでないと!

『故郷の偉人と万葉集と目の前の風景が混じり合う』我が町 東浦町出身の万葉集の研究者 久松潜一の名は聞いたことあれど、その研究成果は何かと聞かれた時、応えられる東浦町民はどれだけいるでしょう。万木は直ちに消えます(笑)いやいや聞いたことすらな...
10/06/2024

『故郷の偉人と万葉集と目の前の風景が混じり合う』

我が町 東浦町出身の万葉集の研究者 久松潜一の名は聞いたことあれど、その研究成果は何かと聞かれた時、応えられる東浦町民はどれだけいるでしょう。万木は直ちに消えます(笑)
いやいや聞いたことすらない人もいるかもしれない。

一方万葉集は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂され、作者は天皇から農民までとたいへん幅広く、その当時のいろんな立場の人々が何を思って生きていたかを記したものだと思うと、現代を生きる自分の道しるべになるやもと思ったり。まるで民俗学の源泉がここにあるような気もしてきます。

何より、自然や人を想うことばが艶をもって美しく語られ、相手に贈っているところも、ざらざらしがちな現世で生きている人にとっては、やさしくまた心地よく響いてくるかもしれません。

今回は敬愛する上野誠先生が、久松潜一の功績を通して、深遠な万葉の世界への入り口にいざなってくれるかもしれません。

この講演会の開かれる場所が、万葉集の舒明天皇の国見歌に歌われた「秋津洲大和の景観」に囲まれた文化センターで行われるというのが、ぼくにはたまらない気分なのです。

「大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立つ立つ 海原は 鷗立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は」

講演会の前に、この歌を詠みながら、東浦町の明徳寺川沿いを桜並木にそって一周歩き、文化センターに行くことをオススメいたします。

先日の『光る君へ』21話のまひろ(紫式部)とききょう(清少納言)の掛け合い。ききょうが、出家した貞子が実は一条天皇の子を懐妊していたことをまひろに伝えるシーン。ききょうは生きる気力を失っている貞子を案じ、まひろに、貞子を元気にするにはどうし...
02/06/2024

先日の『光る君へ』21話のまひろ(紫式部)とききょう(清少納言)の掛け合い。
ききょうが、出家した貞子が実は一条天皇の子を懐妊していたことをまひろに伝えるシーン。
ききょうは生きる気力を失っている貞子を案じ、まひろに、貞子を元気にするにはどうしたらよいかと相談する。
まひろは、以前ききょうが貞子から高価な紙を頂いたことを覚えていた。
一条天皇がその紙に司馬遷の『史記』を書写していたところ、定子がききょうに「私は何を書いたらいい?」と聞かれ、ききょうは「史記」と「敷物」をかけて「枕詞」を書いてみてはと定子に提案したことを。
そこでまひろは、その高価な紙を使って定子のために何かを書いてみてはと提案。さらに「帝が司馬遷の史記だから、ききょう様は春夏秋冬の四季」をと。
そこからはじまった、ききょうから定子への愛のことば『枕草子』だとしている。

このことばの掛け合いの巧みさと美しさ。そして愛する人へのギフト感に満ちたことば選びは秀逸でした。
少々知ってて何ぼのところはあるかもしれませんが、改めて、「ことば」は日常にあっても、ちょっとした粋な心配りをしながら、相手へ贈るものだと自分に戒めて。

そしてこの話の背後には、定子とききょうが共感した風景があるわけです。

住所

東浦町大字生路字小太郎96-1 ピボットマンション生路 501
Chita-gun, Aichi
470-2104

ウェブサイト

アラート

株式会社 万木和広建築設計がニュースとプロモを投稿した時に最初に知って当社にメールを送信する最初の人になりましょう。あなたのメールアドレスはその他の目的には使用されず、いつでもサブスクリプションを解除することができます。

事業に問い合わせをする

株式会社 万木和広建築設計にメッセージを送信:

共有する

カテゴリー