11/03/2022
11年前の3月11日、東京都渋谷区役所にいました。
区役所と協議、確認しなければいけない業務を完了できず、
区役所を出ました。
途中、渋谷のビックカメラで見た津波のライブ映像と
そのテレビ画面を食い入る多くのお客さんや店員
のことを今でも鮮明に覚えています。
交番の警察官に
止まってしまった電車はいつ動くかわからない
と教えてもらい
徒歩で当時東京にあった自宅(大田区池上)のマンションまで
約5時間かけて徒歩で帰りました。
途中、無料販売になった自動販売機でお茶を1本いただき
五反田にあるホテルでトイレを借り
国道1号線を神奈川県川崎方面へと黙々と歩む
多くの人々とともに、
あの津波の映像を繰り返し思い出しながら
自分も黙々と歩きました。
東京の自宅は、特に被害もなく
部屋の中も大きな損傷や家具や物品の崩れもありませんでした。
その後の、首都圏の計画停電や物資の買い占め状況を
体験して、この経験を無駄にしないようにと
1年後には、防災士の資格も取得。
そして、政治の道を志すようになしました。
本日はFacebook上でも
4年前の3月11日、自分が何をしていたか
そして4年間、何をしてきたか
の投稿がほとんどです。
以前にも投稿しましたが
私は、東京都の渋谷区役所6階で
建築関係の窓口で協議していました。
揺れが長く続くことがわかった瞬間
区役所の方が「この建物から逃げた方がいい」と
強く主張しました。
区役所が「耐震補強」をしているのにも関わらず。
その後、揺れが落ち着いてから
仕事を終えて帰宅しようとしましたが
電車、地下鉄は全面運航停止。
バスやタクシーの乗り場は長蛇の列でした。
レンタカー店や自転車販売店にも行列ができていました。
仕方なく時間を潰すために入った「大型電気店」のTV売り場で
あの津波の映像が、生中継で映し出されていました。
流される車や家、船に人が映し出されていることもありました。
その映像の中には、震災の2か月前に仕事で訪れた場所が
津波に襲われる瞬間もありました。
その映像を眺める全ての客が
何も言葉を発することができませんでした。
店員の「TVの前に立ち止まらないでください」という言葉が
無情に響き渡っていました。
その後、東京の自宅に、5時間かけて歩いて帰りました。
神奈川県川崎市へ伸びる国道1号線(第2京浜)を歩く人も
ただひたすら無言で歩き続けていました。
同僚や友人と歩いている人だけが
地震や津波について話していました。
私も歩きながら、そして自宅に辿りついてからも
「建築の耐震だけでは、人の命や財産を護るためには
充分ではない」と
強烈に思いました。
そして、「防災士」という資格があることを知り
受講を申し込み、資格の取得をいたしました。
ただ勉強し、資格を取得するだけでは
誰の役に立つこともできないと思い
政治(自民党)に関わろうとしたのが
今の立場まで至った始まりです。
この熱田区で生活し、活動することで思うのは
耐震、津波防波堤、高潮防潮堤など
何かを作るだけでは、まだ充分ではありません。
いざという時、
「想い合って、助け合って、分かち合える」
『まち』や『ひと』、『きづな』が
必要です。
日常からそのことを意識した暮らしや教育を
実践していかなければなりません。
私は、この熱田区でそれを実践していきます。
熱田区でお住まいの皆様、働いている皆様と
ともに考えて、悩んで、問題解決に取り組んで参ります。